夙川を歩きながら思考の体操 「清濁併せ呑む」ことは難しい

今日はソーシャルディスタンスを意識しつつ、
夙川を散歩。夙川は桜も見ものですが、葉桜の季節も抜群の景観です。

苦楽園駅からさらに夙川上流へと歩くといく筋もの小川が流れるエリアへ到達。
清流の水音を聞きながら

「清濁併せ呑む」(せいだくあわせのむ)

という言葉について考えていました。
意味は「心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ」です。出典は司馬遷による『史記』(今から2000年以上も前、紀元前91年ごろに成立したと言われる中国の歴史書)記述から生まれた故事成語です。

この言葉を拡大解釈して、自分に当てはめて考えてみました。
昨日、保育所から「5月末まで自宅保育をして欲しい」というお達しがあり、
「はあ困ったな」、と内心思っていたところです。やっぱり子どもがいると仕事がはかどらないわけです。
私は普段、「保育園にものすごく助けられていたんだ」と改めて思い知りました。
でも保育園に行かせるためには会社勤務しとかなアカンしな、、
時短勤務の会社勤めは、もうそれだけで色々と難しく、苦悩することも多いです。
でもこのような状況下にあって、やはり会社に助けられていることも思い知ります。

昔はイヤなことはやめたらええねん! イヤな人とは付き合わんかったらええねん!
って感じだったものが、子どもができてからはとくにそんなに単純なものではなくなったことを感じます。
排除できない苦悩。だったら、もう共に生きるしかない。
「清濁併せ呑む」覚悟ってやつですよ。
でも「清濁併せ呑む」って難しいよなあ。


とか、思うんですけど、まあ、
夙川の美しい風景を見ていたら、なんとかやっていけそうな気持ちにもなるので不思議なもんです。

枝一本で小エビを釣ろうとする息子

この記事を書いた人

西田 めい

西田めい(にしだめい)
書籍編集者、ライター。大阪の編集プロダクション勤務から2022年4月に独立。
古事記、百人一首、源氏物語、枕草子、平家物語、奥の細道など、多数の古典関連書籍の編集、執筆を担当し、古典のおもしろさに目覚めました。柳田國男検定・初級合格(こんな検定あるんですよ、笑)。趣味はベランダガーデニング。
大学時代は軽音楽部だったので音楽が好きです。
著書に『二十四節気のえほん』(PHP研究所)、『はじめてであう古事記』上下巻(あすなろ書房)があります。お仕事のご依頼、ご相談などございましたら、お問い合わせフォームからお願い致します。