日本人でも戸惑う神仏習合

お寺で威勢よく手を打ってしまった失敗がきっかけ

厄除けは神道or仏教? の続きです。こうゆうことを考えるようになったのは、神社とお寺を思いっきり間違えたことがきっかけでした。

昨年の年明け、数え年で41歳厄年にあたる夫の厄除け祈祷に行ったときのこと。場所は関西屈指の厄除けスポット、兵庫県西宮市の門戸厄神。ここでは1時間毎くらいに厄除け特別祈願をしています。申し込みを済ませて拝殿でお参り。二礼二拍手一礼、と。。
パンパン!と威勢良く手を打ち鳴らしました。ところが、どうやら盛大に間違えていたらしい。

厄除け祈祷の終わりに言われた言葉によると「よく神社と間違われるのですが、私どもは門戸厄神東光寺というお寺ですので。。」

あ! お寺だったんですね!?
もーマジで日本の神仏習合はわけわからん!

と内心逆ギレしたことがありました。まあ、そもそも鳥居がない時点で気づけよってなもんですが。そこで門戸厄神東光寺について創建を調べたところ、真言密教を開いた空海が開いた真言宗のお寺ということがわかってきました。

西宮市にある門戸厄神東光寺

 

仏法を信じて神道を尊ぶ
日本的メンタリティ

門戸厄神東光寺の開創は829年、嵯峨天皇の41歳厄年に空海によって厄除け祈願を行われたことによる、とのこと。

最近『古事記』をガッツリ読んでおるのですが、古代大王は男性シャーマン的な存在でした。第10代崇神天皇は雨乞いをして雨を降らせたり、先祖にあたるカミを祀ることによって、霊力を発揮する存在でした。
が、その天皇が仏教に頼るとはどういうことなんだろう? 自分がもっている霊力で
なおせないのか?

そんな疑問に応えてくれていたのが、
『古事記の読み方』渡部昇一(WAC)の本でした。ざっくりと要約しましょう。

仏教推進派・蘇我稲目の娘から生まれた第33代用明天皇がターニングポイントとなった。体調が悪くなった用明天皇は仏の力を借りて病気を治し、先祖神に対するまつりは今までどおり続ける、というスタイルが生まれていくことになった。
最初は仏教の導入に絶対反対していた
神道の本家ともいえる中臣氏(のちの藤原氏)ものちに氏寺として興福寺(奈良県)を建て、氏神として春日大社を祀ることになる。

ともあれ、仏法を信じて神道を尊ぶという日本的メンタリティはこのような歴史背景によって培われたものらしいです。

門戸厄神の裏には鳥居がある

混沌こそジャパン

そもそも日本の神道は仏教ほど体系立っていない素朴な民間信仰でした。
八百万の神さま、という言葉のとおり
「いろんな神さまウエルカム」の状態だったので仏さまもその一員となっていくことになったのです。
※中枢権力を担っていた蘇我氏(仏派)や物部氏や中臣氏(神派)たちはもめている

その後、日本の神仏習合は空海が開いた真言密教の学僧たちによって体系化されていったそうです。この体系化がまたややこしんですが、またおいおい飲み込んでいきたいと思います💦

仏教みたいにものすごく体系化された教えを学んでいたら、日本的メンタリティはものすごく混沌としたものに見えるかしれません。
でも、その混沌のなかに日本人の心が垣間見えます。
アイキャッチは私の実家近くの寺で見つけた鳥居です。

まとめ

日本の神仏習合は空海が開いた真言密教の学僧たちによって体系化されていった

課題
・高野山にある神仏習合はじまりの神社とされる丹生都比売神社に行ってみたい

この記事を書いた人

西田 めい

西田めい(にしだめい)
大阪の編集プロダクション勤務。書籍編集者。
古事記、百人一首、源氏物語、枕草子、平家物語、奥の細道など、多数の古典関連書籍の編集、執筆を担当し、古典のおもしろさに目覚めました。
趣味はベランダガーデニング。
大学時代は軽音楽部だったので音楽が好きです。
著書に『二十四節気のえほん』(PHP研究所)があります。