【ザックリとしたあらすじ】
40歳を過ぎて妻子を捨て、美に取り憑かれた男
京都で「月と六ペンス」のブックカフェに行ったことをきっかけに気になっていた、モームの『月と六ペンス』(新潮文庫、金原端人 訳)を読了しました。
やはり読んでよかったです。ザックリとしたあらすじは、40歳を過ぎて妻子を捨て、イギリスのロンドンからフランスのパリ、マルセイユ、タヒチへと渡る天才画家・ストリックランドの半生が主人公(小説家)の目を通して描かれています。ストリックランドは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』の傑作を描いたゴーギャンがモデルになっている、と言われていますが、巻末の訳者あとがきによると「ぜひゴーギャンとストリックランドは切り離して読んでいただきたい」ということでした。
確かにその下地がなくても十分、小説としておもしろかった。恋愛小説でもないのに、恋愛とは欲望とは一体?と考えさせられますし、ストリックランドがどんな心境でロンドンの快適な生活を捨てて美を追求するようになるのか気になってしょうがない。ゴーギャンはどうだったっけ、とか調べてしまうのはもはや悪いクセなのかもしれません。
【心に残った部分】
神話は、平凡な人生に対するロマンチックな抵抗
最初の4ページ目くらいからすでに引き込まれていました。
ちょっと名文だったので引用させてください。
人間には、生まれつき神話を生みだす力がある。数奇な運命をたどった者の人生に驚くべき不思議な出来事を探し出して神話を作り、それを頭から信じ込む。神話は、平凡な人生に対するロマンチックな抵抗なのだ。
まさにストリックランドという天才画家の神話のような話でした。お金も家族も捨て、自分が感じる美を描くことに取り憑かれてしまったかのような男。
正直いって、自分はそこまではできない、と思ってしまう。
だけど、ささやかながらでも美を追求することはやはり自分にとって必要だと思いました。その感動が自分の原動力になるのですから。
【まとめ】
美と日常、そのさじ加減を見極める
じつのところ、私は『月と六ペンス』を読了している場合ではなく、仕事で書かなアカン原稿があったりしたわけです。原稿を書きにカフェに行ったところ、パソコンの充電が切れていてアダプタも忘れている失敗があり、仕方なくカバンに入れていたこの本を読んだ次第でした。
でも、この本を読んだことによって、私は心がものすごく潤ったし、思考はものすごく遠くに行けたと思います。こういった時間はやはり必要です。ただし、こういった時間ばかり過ごしていると、社会生活がままならなくなる、と。書かなアカンかった原稿は来週のどこかで集中して片付けねば。(今やれよ!とも思うんですが、仕事は勤務時間に集中してやろうと思います、という言い訳) 結論としては、バランスとっていくしかない。今のところ、そういう結論です。
アイキャッチは京都のブックカフェ「月と六ペンス」さんのオリジナルのブックカバー。