【冬至祭】古代の北欧と日本の冬至を比べてみた結果

日本玩具博物館。土蔵6棟に世界の玩具が揃っています。

先日、日本玩具博物館(兵庫県姫路市香寺町)の『世界のクリスマスー祈りの造形ー』展示に行ってきました。心ひかれたのは、北欧に伝わる麦わら細工のクリスマスツリー・オーナメント。これ、日本の正月飾りになんか似ていますね。

北欧のクリスマス飾り

古代の北欧では、雪や氷に閉ざされる冬至の時期に太陽の復活を願う土着の冬至祭が行われました。室内で過ごす時間が長くなることから手工芸が発達し、切り紙細工や麦わら細工が発達します。人々はこれらの工芸品や食べ物を神に捧げ、来年の豊作を祈りました。それが13世紀頃にキリスト教と結びつき、クリスマスの行事として発展していったそうです。

クリスマスの展示。

古代日本の冬至祭は、「鎮魂祭(みたましずめのまつり)」と「新嘗祭(にいなめさい)」でした。鎮魂祭は奈良時代から行われている宮中行事で、天皇の魂をよみがえらせ、活性化させるための儀式として、太陽の力が弱まる冬至の頃の一夜に行われました。
その翌日に行われるのが新穀を天皇が神々と共に食し、収穫に感謝する新嘗祭です。戦前まで、新嘗祭は国民も共に収穫を祝う祭りでした。ところが、戦後になって新嘗祭は「勤労感謝の日」という名前に改められ、日付も旧暦のまま新暦に移したため11月23日となりました。
こういったわけで、現在の日本人の多くが日本に冬至祭があったことにピンとこなくなったのではないでしょうか。「新嘗祭」の移り変わりについて述べるだけで既にややこしくなってますから(笑)。
※一部の地域の神社では火焚き神事や、一陽来復のお守りが授けられるなどの冬至祭があります

まとめ
・北欧では土着の冬至祭とクリスマス(キリスト降誕祭)が結びついて発展した
・日本はそもそも冬至祭がややこしくなっていたので、クリスマスと結びつくこともなかった
(冬至の日にゆず湯に入る、かぼちゃを食べる、などの江戸時代の風習は残っております)

鎮魂祭について詳しく述べてみたのがこちら↓

 

この記事を書いた人

西田 めい

西田めい(にしだめい)
書籍編集者、ライター。大阪の編集プロダクション勤務から2022年4月に独立。
古事記、百人一首、源氏物語、枕草子、平家物語、奥の細道など、多数の古典関連書籍の編集、執筆を担当し、古典のおもしろさに目覚めました。柳田國男検定・初級合格(こんな検定あるんですよ、笑)。趣味はベランダガーデニング。
大学時代は軽音楽部だったので音楽が好きです。
著書に『二十四節気のえほん』(PHP研究所)、『はじめてであう古事記』上下巻(あすなろ書房)があります。お仕事のご依頼、ご相談などございましたら、お問い合わせフォームからお願い致します。