「呪」と「祝」は表裏一体だった 神呪寺(兵庫県西宮市)の意味

 先日、西宮市の神呪寺(かんのうじ)に行きました。
西宮市の甲山(かぶとやま)の中腹にあるこの寺は隠れた眺望スポットで、大阪から高槻、京都まで見渡せます。831年、弘法大師・空海を導師に迎えて開かれた寺なので、西宮にいながらなんとなくお遍路風情もあるのが不思議。「融通観音(ゆうづうさん)」と呼ばれる如意輪観音様は平安時代初期の貴重なもので、日本三大如意輪の一つだそうです。
日本三大如意輪ってあるんですね、初めて聞きました(笑)。
あとの二つは大阪府河内長野市の観心寺と、奈良県宇陀市の室生寺の観音様とのこと。
神呪寺では毎年5月18日に融通観音様のご開帳が行われています。

 それにしても、気になるのは「神を呪う」というなんともバチあたりな意味にもとれる寺の名前です。
寺のパンフレットには
甲山を神秘的な神の山として信仰したことから、神のような不思議な強い力がある寺として名づけた
神呪(かんのう)とは般若心経にある神呪(じんじゅ)で真言(しんごん)という意味があります
と二つの理由が書いてありました。

境内の裏には甲山の中腹から頂上へ登る登山道があります。20分ほどのプチ登山で頂上へ。頂上は芝生広場になっていて、犬と一緒に登る人もよく見かけました。7歳の子どもでもほどよく登れるレベルでした。
登山道
頂上

 これらの理由から、私は『時空旅人 2022年 9月号』の記事を思い出しておりました。
この号は「呪術の世界 ー 神と人の境界を往く」という特集号で、ものすごく面白かったです。
なかでも特集の一番初めの記事「呪 とは何か(上永哲矢/歴史著述家)」が味わい深かったです。
あまりにも味わい深かったので一部分引用させてください。

じつは「呪」と「祝」は、もともと同じ意味を持つ言葉であった。
「呪く」「祝く」はいずれも「ほさく」と読む。
『日本書紀』において「則ち以って神祝き(ほさき)祝きき」(神代紀・上)と「将に火の中に投れむとして呪き(ほさき)て曰く」(北野本 欽明紀)と、
いずれも神事における言葉だ。表裏一体である。
右側の「兄」という字は「ひざまずく人」の意で、祝いには「祭壇で祈る人」の意味がある。
一方の「呪」は言葉、つまり祝詞(のりと)を口から発する人の意味がある。
呪は祝詞で障害を除く、敵を倒す、打ち勝つ目的もあり、転じて攻撃的な意味になったという。

『時空旅人 2022年 9月号』「呪 とは何か(上永哲矢/歴史著述家)」より抜粋

 「呪く」「祝く」はいずれも「ほさく」と読んで表裏一体の言葉だった、というのはすごくうなづける話だと思いました。人の精神的なエネルギーは、「祈り」にも「呪い」にもなるということか。
どうせなら、呪いの多い人生よりも、祈りの多い人生でありたいものです。

この記事を書いた人

西田 めい

西田めい(にしだめい)
書籍編集者、ライター。大阪の編集プロダクション勤務から2022年4月に独立。
古事記、百人一首、源氏物語、枕草子、平家物語、奥の細道など、多数の古典関連書籍の編集、執筆を担当し、古典のおもしろさに目覚めました。柳田國男検定・初級合格(こんな検定あるんですよ、笑)。趣味はベランダガーデニング。
大学時代は軽音楽部だったので音楽が好きです。
著書に『二十四節気のえほん』(PHP研究所)、『はじめてであう古事記』上下巻(あすなろ書房)があります。お仕事のご依頼、ご相談などございましたら、お問い合わせフォームからお願い致します。