春分(しゅんぶん)とは
春分は昼の長さと夜の長さがだいたい同じになる頃。ここから夏至までは昼が長くなっていきます。
春分の行事
代表的な行事が「お彼岸」です。彼岸の定義が、「太陽が真東から登り、真西に沈む日」となっていて、この日は西方にある極楽浄土と交わることができると考えられていました。よって、春分の日を中日とした7日間は「春の彼岸」と呼ばれ、ご先祖さまのお墓詣りをしたり、ぼたもちなどを仏壇にお供えする風習があります。
春分の和歌
ねがはくは 花のしたにて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
西行
西行法師(平安時代末期〜鎌倉時代初期)の有名な歌。如月の望月の頃は、旧暦2月15日で釈迦の命日にあたります。旧暦2月の満月って。。今年2022年は3月18日が旧暦2月の満月だったわけで(雨降ったり曇ってたりして月が見えにくかったけど)、、つまり今の時期ってことですね。今年は梅の開花同様に桜の開花もちょっと遅れていますが、ようやく桜が咲き始める頃(花冷えもある頃)のイメージだったんだなあ。
訂正! 春分の俳句
菜の花や 月は東に 日は西に
与謝蕪村
2020年の春分のブログで、春分といえばこの句! というお話しをしていたのですが、よくよく調べると違うかも、というお話です。
与謝蕪村(大阪出身。江戸で俳諧を学び、松尾芭蕉にならって諸国をめぐりをした)の「菜の花や……」の句は、1774年、旧暦3月23日に兵庫県神戸市を縦走する六甲山系の摩耶山から見た菜の花畑の情景を詠んだものということです。
今年になって初めて場所を認識しました。なんと、摩耶山とは! わたし兵庫県民なんで、わりと地元やん!
「昔、神戸市灘区の山麓では水車がたくさんあった…」という話は聞いたことがあって、てっきり灘五郷の酒作りに使われていたんだろう、と思っていたのですが、菜の花から菜種油を絞るためにも使われていたそうですね。
菜の花は2001年に「灘区の歴史の花」に選定されたそうです(わりと最近? とはいえ、21年前か…)。いや、だってあんまりあの辺り今は菜の花畑があった痕跡がないもんだから……。とか思っていたけど、そういえば石屋川沿いの都賀川公園あたりに菜の花咲いてるスポットあったな、とか浮かんできました。西郷川河口公園も菜の花スポットになっているようですね。
課題
「菜の花や……」の句が詠まれたのは旧暦3月23日。これを新暦で考えると2022年は4月23日になります。この頃ってまだ菜の花咲いているのかなあ?という疑問が残ります。蕪村は旧暦3月23日にちょっと前(旧暦3月15頃の満月に頃?)に見た情景を思い出して詠んだということも考えられます。いずれにせよ、菜の花が咲く頃の満月の情景を詠んでいるところまではいえますが、春分だったかどうかはちょっとわからなくなりました。けど、「菜の花が咲く満月の頃ってやっぱり春分の時期なのでは」という気持ちも残ります。ちょっと4月15〜23日頃までまだ菜の花が咲いているか見に行ってみようっと。