【笑いのツボ】『とはずがたり』から古の笑いを検証

古今東西、笑いはフリが命!?

先日、八坂神社で正月限定のレア授与品である粥杖をゲットした話を書きました。私がこの粥杖に興味をもつきっかけになったのは、『とはずがたり』を読んだからでした。

粥杖
八坂神社でゲットした粥杖。

『とはずがたり』は鎌倉時代後期の上皇(天皇の位を譲位した元天皇)、後深草院(ごふかくさいん)に仕えた二条という女房が書いた日記です。

『とはずがたり』のザックリしたあらすじ
14歳の時に29歳の後深草院の妾になるというキョーレツなオープニングで始まります。
それからは後深草院つきの女房 兼 愛人として働きながらも、ほかに恋人もいたりする状況です。
しかし、ある日リストラを言い渡されます。二条が25歳くらいの時。
表向きは後深草院の正妻の嫉妬によるもの、とされていますが、
もしかしたら二条が後深草院のライバルにあたる弟の亀山天皇と関係をもったからかもしれません。その辺りの理由はハッキリとは書かれていません。
その後、31歳頃から二条は信仰の旅に出て、宮中で働いていた経験をいかしながらたくましく生きていくという内容。前半は源氏物語さながらの王朝物語、後半は西行さながらの修行紀行になる稀有な日記古典文学です。

彼女も日記のなかで1月15日の粥杖行事から始まる一連の騒動を「おかしくてたまらなかった」と書いています。ところが、一度読んだだけでは、なかなかそのおかしさがよくわからん!という話です。

『とはずがたり』で描かれる粥杖行事

日記によると、1月15日の粥杖行事の時、後深草院が近習の男たちを集めて女房たちを打たせるというサプライズをやったそうな。そこで二条は東の御方(※)とタッグを組んで後日やりかえします。東の御方が後深草院をひきつけているうちに、二条が後深草院を粥杖で打ち返したということです。これがちょっとした事件に発展するのです。

※東の御方
後深草院の妻のひとり。
この女性と後深草院との間に生まれた皇子が皇太子となったことから、この頃の後深草院家は浮かれている。

(超訳)
その日の夜の食事の時に後深草院が
「私は今年31歳になったが、天皇までなった私が杖で打たれるとは。
どうしてお前たちは誰も助けにこなかったのか」
と言いだす。どよめく男たち。
「それは大変です!親族一同にまでかかる大罪ですぞ!一体誰がそんなことを?」
すると、澄ました顔で後深草院が「二条」の名を言うと
公卿たちはどっと笑った。

ん??
どーゆー笑いのツボなんだろう(ˉ ˘ ˉ; )

背景が「笑い」のフリになっている

おそらく、この「笑い」のツボは、後深草院と二条の関係性にあると思われます。二条は幼い時に母と死に別れ、父親に育てられましたが、その父も後深草院の妾になってすぐ死に別れています。強力な後ろ盾もなく、ただ後深草院の近くにいる二条は愛猫みたいな存在だったのかもしれません。
たとえばヤクザの親分が子分を前に
「俺の大事な皿を割ったやつがおる!」と怒り出して
「一体誰が!」と戦々恐々の子分たち。
ヤクザの親分 「タマ(猫)が」
子分たち 「ズコ~!!!」
とコケるみたいなベタな笑いだった。。
と、考えると頷けます。
人間関係が理解できてないと、「笑い」って笑えなかったりするもんなんですね。まあ、現代のお笑いにも通じますが、「笑い」ってフリが命なんやなあ、と思った次第です。

まとめ
昔の笑いはある程度背景がわかってないと笑いにくい

課題
・いにしえの「笑い」のツボをもっと掘り下げてみたい。
・『とはずがたり』に登場する後深草院と弟の亀山天皇の不和が広がって南北朝時代へ突入する。この辺りも調べてみたい。

 

この記事を書いた人

西田 めい

西田めい(にしだめい)
大阪の編集プロダクション勤務。書籍編集者。
古事記、百人一首、源氏物語、枕草子、平家物語、奥の細道など、多数の古典関連書籍の編集、執筆を担当し、古典のおもしろさに目覚めました。
趣味はベランダガーデニング。
大学時代は軽音楽部だったので音楽が好きです。
著書に『二十四節気のえほん』(PHP研究所)があります。