フジロック2020youtube配信 ジョン・フルシアンテが好きな理由 

あっという間に9月も終わりに近づいてきていてビビります。フジロック2020YouTube配信でレッド・ホット・チリペッパーズ(以下、レッチリ)のライブを見てから、私はまだジョン・フルシアンテ熱が冷めやらず。ジョンの写真を見るだけで何年頃に撮影されたものかがわかるようにまでなってきました(ジョンは坊主頭→髪の毛を伸ばすサイクルをくり返している)。なぜそこまでお熱を上げているのかを自分で考えてみました。すると、全然立場も状況も違う人物ながら、共通する部分も見えて来ました。
2019年12月、37年続く人気バンドのレッチリに3回目の加入を発表したギタリスト・
ジョン・フルシアンテの経歴は長くなったので最後にまとめました。

地獄から戻って来た男

まず18歳で有名バンドに加入したので、23歳から28歳くらいのうつ病と薬物中毒で苦しんでいる時代のインタビューとかも生々しくネットに残っています。レッチリ時代から彼の抱える闇は地続きになっていたので、私もうっかり彼の相当深い闇を垣間見ました。でも、だからこそジョンが笑っているとすごーく嬉しい! よくあの地獄(ヤク中時代のジョンの自宅映像はまさに地獄)から戻って来たな!
2006年『ステイディアム・アーケイディアム』時代のMV
『Tell Me Baby』はええ顔して笑ってます。今や、全世界トータルセールスは8000万枚以上、大きなスタジアムに何万人もの客を入れてライブをするモンスターバンドとなったレッチリが、小さなスタジオで客と一緒に音楽を楽しみながら演奏しているMVです。インディーズ時代のレッチリは客との距離が近く、客と一緒に音楽を楽しむバンドで、ジョンはそんなレッチリが大好きな元ギターキッズでした。

 

客の期待に応えなければならないジレンマ

だからこそ、どんどんレッチリが有名になって観客と離れていくのが耐えられなかったんだろうと思います(本人もそうゆう発言をしています)。レッチリは巨大なプロジェクトとなって、ジョンが目指す純粋な音楽を作ればいい、という話ではなくなっていきます。ジョンは観客を満足させるための音楽をプロミュージシャンとして作らなければならなくなります。
そこに本当の音楽は自分が心から感じている感情の発露だという「芸術性」と、客の期待に応えなければならないという「世俗性」のジレンマが生まれたのではないでしょうか。
このジレンマは、ジョンが感じている何万分の1とかでしょうけど、ちょっとだけわかるんです。私もついついのめり込んで本を作っていると、「芸術作品を作ってるんじゃない、商品やねん」と怒られたりしたもんです。今では本づくりのプロとして、もちろん売れなければ意味がないと思っていますが、本当に自分が「おもしろい」「伝えたい」と思っていないと、いい本にならないことも経験として感じています。

自分は世俗的な世界に生きている、けれど。

2004年、ジョンのソロ活動のMV『The Past Recedes』では、
プロミュージシャンとして曲作りをしている頃のジョンが、心情を吐露している貴重な映像です。

「いつも残業ばっかりだし、まるでサラリーマンだよ」みたいなことを歌っています。
ただし、この映像のロケ地はジョンの家。カルフォルニアはヴェニスの豪邸ですよ。おそらく『バイ・ザ・ウェイ』の印税も入ってきているのでしょうか、、プール付きの瀟洒な邸宅で悠々自適の暮らし。

こんな豪邸に住んでて何を思い悩むことがあるのか! とツッコミたくもなります。とはいえ、やっぱ人には人の悩みというものがあるんでしょうね。
このあたりで私もようやく我に返ってきて、自分は思いっきり世俗的な世界に生きているんだということを再認識した次第です。早く家に帰って息子と夫に揚げ物でもつくってあげよう。。
でも、たまには芸術性に触れることは必要なんだと思います。
以前、「月と六ペンス」を読んだときも、こうゆうことを考えていたんだと思います。結局は、バランスをとりながら生きるしかないって結論なんですけど。今のところ。

ちなみに、ジョンの家があまりにオシャレなんで調べていると、レッチリのボーカルのアンソニーの自宅もオシャレ。どうやら「カリフォルニアスタイル」と日本で呼ばれているインテリア様式であることがわかりました。アイコンはドンピシャではないものの、カリフォルニアスタイルらしき写真をチョイス。

ジョン・フルシアンテの経歴まとめ
1988年、レッチリに加入。
『母乳』、『ブラッド・シュガー・セックス・マジック』の2枚のアルバム制作に参加し、レッチリは一気に人気バンドにのし上がった。ところが、インディーズ志向だったジョン・フルシアンテは急激な環境の変化に混乱し、
1992年中に脱退。しかも来日ツアー最中に突然彼らの本拠であるカリフォルニアへ帰るという最悪な辞め方をしている。この時のジョンは22歳。
(まるで新入社員がパニクって会社辞めるみたいな感じだなあ。私も初めて就職した会社はヒドイ辞め方しちゃったことを思い出しました)
その後、うつ病と薬物中毒で生死の境をさまよいつつも、
1999年にレッチリに復帰。以降はバンドのサウンドの核として活躍し、
1999年『カリフォルニケイション』
2002年『バイ・ザ・ウェイ』
2006年『ステイディアム・アーケイディアム』
のアルバム制作に参加。ところが、
2009年12月16日に「自身の音楽を探求したい」との理由で、チリ・ペッパーズからの脱退を表明。この時は円満な脱退だった。
それからちょうど10年後の
2019年12月16日に3度目の加入が発表された。

この記事を書いた人

西田 めい

西田めい(にしだめい)
大阪の編集プロダクション勤務。書籍編集者。
古事記、百人一首、源氏物語、枕草子、平家物語、奥の細道など、多数の古典関連書籍の編集、執筆を担当し、古典のおもしろさに目覚めました。
趣味はベランダガーデニング。
大学時代は軽音楽部だったので音楽が好きです。
著書に『二十四節気のえほん』(PHP研究所)があります。