「節分」は大晦日の行事だった
2020年の立春は2月4日から。その前に節分がありますね。
旧暦を使っていた昔、立春は1年の始まりであるお正月の目安になっていました。元旦は、立春にもっとも近い新月の日に設定されていたからです。そして立春の前日にあたる大晦日が節分にあたり、邪気を払う「追儺(ついな)」の行事が行われていました。下級役人の中から選ばれた大男が子どもたちを引き連れ、「儺遣らふ(なやろう)」と大声を張り上げながら、目に見えない鬼を追って宮中と都を練り歩いていたそうです。この鬼を追い払う役の大男が恐ろしい格好をしていたことから、鬼と間違われて追われるようになり、現在の「鬼追い」へと発展しました。今では除夜の鐘が大晦日の風物詩ですが、昔は外から聞こえる「儺遣らふ(なやろう)」の声を聞きながら大晦日の夜を過ごし、新年が始まっていたのです。
『蜻蛉日記』に登場する「追儺(ついな)」シーン
この追儺のシーンは『蜻蛉日記』の中巻の終わりと、下巻の終わりに見ることができます。作者の藤原道綱の母はセレブ御曹司である夫を待ち続け、月日がすぎていつの間にか年末の鬼やらいの来る時になっていることに自分でもあきれた心地でいます。
子どもも大人もみな「なやろう、なやろう」と騒いでいる。
私だけが何もすることもなく見ていると、この人たちは何でも愉快なことはやっておきたい!
という陽気な人のように見えるのだ。
ー『蜻蛉日記』の中巻の終わりの概訳
外はみんな陽気に騒いでいるのに、藤原道綱の母の心中は暗い。セレブ御曹司の夫がいて、この人自身もセレブなのに、心が満たされないことってあるんだなあ、と思いました。『蜻蛉日記』を読んでいると、どう考えても外で鬼やらいをして騒いでいるほうが楽しそうに思えてきます。それくらい、この時代の貴族階級の女性はストレスを抱えていたことがわかります。
まとめ
行事は楽しんだもの勝ち!
「節分」を盛り上げるために、恵方巻き(おもに関西では)と豆を用意しておこう。
次回は
雨水(うすい)2月19日~3月3日