●長年の人間関係は複雑微妙
私がフリーマガジンの編集をしていた
頃だったでしょうか。
「会社には積年の恩と恨みがある」
職場の先輩がこう言って会社を辞めました。
その後、私もこの言葉の意味がわかるようになりました。
つき合いが長くなると
色々ありますわなあ、と。
結局、私も先輩と同じ理由で
その会社を去り、
その場を逃れることができましたが、
切りたくても切れない事情がある
(とくに生活手段と結びついている場合、
わかりやすい例が会社だと思います)
人間関係のなかでは
こうゆうことはずっとあるんでしょうね。
でも、正体がわかっていれば
今度はうろたえずに済む、はず!
私がこのことを考えるとき、
いつも頭に浮かぶのは
『王朝の貴族 日本の歴史5』
(土田直鎮/中公文庫)の一節です。
それまで淡々と平安王朝の歴史の流れが
述べられている本ですが、
一条天皇と藤原道長の関係を述べる部分、
いきなり土田先生の持論が炸裂します。
●一条天皇と道長の場合
1011年、一条天皇は32歳の若さで病死。
遺品を整理していた道長は
「王事あきらかならんと欲して
讒臣(ざんしん)国を乱(みだ)る」
と一条天皇が書いているほご紙(不要になった紙)
を見つけます。
これは「国王が正しい政治をしようとしているのに
よこしまな臣がこれを邪魔してぶち壊しにしてしまう」
という意味。これを自分のこと、
と思った道長は紙を破り捨ててしまった、という話があります。
以降があまりにも名文なので、
ちょっと写経させてください。
たしかに道長の勢力は大きかったし、一条天皇の方でも、道長に対していろいろと気を使って、好き勝手な振る舞いはできようはずはなかった。けれども、この話だけから、一条天皇と道長の関係を考えようとすることは誤りである。道長は一条天皇のときに、十五年にわたって左大臣であったが、その間、天皇は道長を第一の臣として尊重したけれども自身も決してロボットではなかったし、道長もその威勢を示しながらもやはり天皇の外叔父としてよく後見し、天皇の意向を尊重したのであって、天皇と道長とは、けっして不穏な関係にはなかった。
人と人との仲というものは、自分自身の周囲を考えてみればすぐわかるように、誠に複雑微妙なもので、けっして長いつき合いを一言であらわせるようなものではない。
長い間には、どんなによい仲でも不満の起こるときもあろうし、涙の出るほど快く気持ちが通じ合うときもあろう。それぞれの立場からくるしこりもあろうが、また本来どんなに協調的な立場にあるはずの人でも、めいめいの好き嫌いはどうしようもないものである。人間をその地位・環境や階層で機会的に分類し、それぞれのグループ特有の心理をはじき出すことはできても、それはけっしてそのまま一人の人間を書き出すことにはならない。個々の人間は、一寸の虫にも五分の魂のたとえもある通り、もっとも複雑な変化に富んだ心理の持主なのである。
一条天皇のほご紙一枚で、天皇と道長との関係を説明しようとする安易なやりかたは、わたくしはとりたくない。
『王朝の貴族 日本の歴史5』
(土田直鎮/中公文庫)
●まとめ
一千年前から人間関係は複雑微妙なものでした。それは今も同じ。
そうゆうもんだから、と受け止めて受け流していくくらいでよいのでしょう。
そして、やれスマップの仲が悪いだの、やれ嵐の仲はいいとか、
長年のつき合いは他人がどうこう言えるものではないのです!