「天の岩屋戸」神話は太陽の死と再生の神話
二十四節気でいう冬至は、一年で一番昼が短く、太陽の力が弱くなる時期。
今日はどんより曇り空で、太陽がどこにあるのかわからずじまいでした。
冬至のころに太陽の力が弱くなることを物語にしたものが、アマテラスが岩屋にこもってしまう「天の岩屋戸」神話です。
『古事記』のなかでも、アマテラスとスサノヲの誓約(うけひ)と天の岩屋戸神話は、新嘗祭と大嘗祭(新天皇による初めての新嘗祭)に深く関わっている部分です。
鎮魂祭と大嘗祭は冬至に行われていた
大嘗祭は、天武天皇や持統天皇が即位した時代(7世紀後半)に儀式化されていき、旧暦11月の2度目の卯の日、つまり今でいう冬至の頃に行われていました。この大嘗祭の前日に行われていたのが、鎮魂祭(みたましずめのまつり)です。鎮魂祭は一世一代の大嘗祭に挑む天皇の魂を強化するために、大嘗祭の前夜に行われていた祭りでした。
鎮魂祭では女官が箱の上に乗って桙でその箱を突く神事(宇気槽の儀)が行われました。これが天の岩屋の前でアメノウズメが踊った神話の元ネタです。そして天皇の衣を振ることによって、天皇の魂を活性化する神事(魂振の儀)もあったそうです。
この鎮魂祭と大嘗祭は現在においても「秘事」とされています。そのため、どうやら天皇がお湯に入るらしいとか、真床覆衾(まとこおふふすま)という布団にくるまるらしいとか、お湯に入るときに采女が介添えするらしいなどの部分的な情報が漏れ伝わって、様々な妄想を掻き立てることになったんだろうと思います。
太陽の力が弱くなるこの時期を人々は本当に恐れていた
ただし、天武天皇以降は持統天皇、次の文武天皇(持統天皇の孫)は15歳で即位し25歳で崩御、次は元明天皇、元正天皇らの女性天皇が続きます。元正天皇の次に即位した聖武天皇は子供の頃は体が弱かったとか。周囲の大人たちはさぞ心配したことでしょう。子供が無事に大人になることが簡単ではなかった時代、太陽の力が弱くなるこの時期を人々は本当に恐れていたのではないかと思います。だから鎮魂祭のような秘伝儀式が発達したのかもしれません。
【まとめ】温かく過ごせる現代に感謝
太陽の力が弱くなる時期ですが、現代はエアコン、ホッカイロ、湯たんぽ、などを駆使すれば温かく過ごすこともできます。
温かく過ごせる現代に感謝して、なんとか乗り越えたいもんです。
次回は1月6日〜19日 小寒(しょうかん)
●課題
鎮魂祭は石上神宮(奈良県)や彌彦神社(新潟県)、物部氏に由来する神社で見ること
できるそうです。いつか行ってみたい!
●補足
今年の大嘗祭は鎮魂祭がどうなっているかという意味でも私は注目していました。
結果的に鎮魂祭は「鎮魂の儀」という名前で行われていたようですが、ニュースで大々的に報じられることはなかったですね。
令和元年は即位礼、大嘗祭、など皇室儀式が相次ぐ年でした。いにしえ好きの私はもちろん注目していたのですが、即位礼の女性皇族の方々の服装1つでさえ、江戸風のおすべらかしの髪型、服装は平安時代からの十二単、など、全ての時代がミックスされていて、とてもひとくちで語れるものではなかったです。時代の積み重ねを感じました。